【書評】夜の果てまで/盛田隆二【愛・大人ってなんだ】
紹介する本
みなさんこんにちは、カナデしゃちょーです。
今日はね、これを読みました。
二年前の秋からつきあっていた女の子から突然の別れ話をされた春、俊介は偶然暖簾をくぐったラーメン屋で、ひそかに「Mさん」と呼んでいる彼女と遭遇した。彼女は、俊介がバイトをしている北大近くのコンビニに、いつも土曜日の夜十一時過ぎにやってきては、必ずチョコレートの「M&M」をひとつだけ万引きしていくのだった…。彼女の名前は涌井裕里子。俊介より一回りも年上だった―。
ただひたむきに互いの人生に向き合う二人を描いた、感動の恋愛小説。著者会心の最高傑作。
(巻末より引用)
恋愛小説を読み漁っていた時期があって面白かったと思うので紹介していきますね。
読みどころや面白いところを書いていければいいななんて。
読みたくなるポイント(ネタバレなし)
まずはまだ読んだことのない人のために簡単に時代や土地、登場人物を紹介します。
背景
- 時代:1990年代
- 土地:北海道札幌市内
登場人物
- 安達俊介:主人公。北海道大学4年生で就職活動中。彼女に突然別れ話をされる。
- 西野賀恵:主人公・俊介の元カノ。俊介の1つ年上。行動的な人間で性への考え方も奔放。
- 涌井裕里子:俊介のバイト先でチョコを盗んでいく女性。俊介よりも1回り年上。
- 涌井正太:中学生。祐里子の息子だが実の息子ではない。いわゆるやさぐれた素行不良な中学生。
- 涌井ご主人:祐里子の夫。バツイチで、精神病持ちの離婚前の妻の面倒も見ている。正太はこの二人の子。
と、まあストーリーに大きく関わる主要人物はこんな感じです。
これだけの情報を見ると、主人公は、奔放な元カノや就職活動に追われる学生。
涌井御一家は複雑な事情を抱えた家庭だとわかりますね。
小説の構成は、主人公・俊介の視点から書かれるパートと正太の視点から書かれるパートに分かれます。
物語の中で、あるきっかけから俊介と裕里子・正太は出会います。
『夜の果てまで』は、その後の展開を追った恋愛小説です。
あらすじまでの言葉で言うなら、二人ともそれぞれが自分自身の人生に向き合いながら恋愛をするストーリーです。
「将来輝く大学生と問題ありあり家庭の人妻のストーリー」
もうひとつの読みたくなるポイント(ネタバレなし)
この小説の書き出しはほかの小説とは異なります。
一般の小説はだいたい、主人公の今の状態や風景、時代背景などから入ります。
しかし、この小説は最初、「失踪宣告申立書」の文面からプロローグが始まるのです。
いきなり物語の終結を語るかのような構成。
ここからどう物語が動いていくのかを楽しみながら読み進めるのも面白いかもしれません。
読んだ感想(ここからネタバレ)
この小説自体はとても読みやすかったです。
序盤は、俊介の振られた後の日常や正太の日常が書かれていて、そこは特に面白いとは思わずに読みづらかったです。
ただ、物語中盤、裕里子と出会って不倫関係になり、それがご主人ばれて駆け落ち、そこからは二人は最後まで一緒にいるのか!?といった感じでガンガン読み進めることができました。
物語自体は不倫、駆け落ち小説。
続きがふつうに気になるし、最後もご主人が何から何まで受け入れるということで面白かった。
終盤、ご主人は、元妻の小夜子も浮気妻の裕里子もすべてを受け入れて、さらには出来てしまっていた祐里子と俊介の子供も受け入れている。
ラストシーンは、俊介が、鹿児島から札幌に戻る場面で小説が終わっているが、もし俊介とご主人が再度顔合わせしたらどうなるのだろうか…
個人的には受け入れることは絶対にできないが、このご主人ならどうするのかが気になる。
ただ、結局、裕里子は失踪してしまっている。
ラストシーン至るまでの時系列をまとめてみた
ラストシーンの続きが気になったのでとりあえず時系列をまとめてみた。
- 1990年3月~7月:物語が始まり、俊介と裕里子は偶然出会う。(ここは割愛)
- 1990年8月:小樽にお忍びデート旅行。体の関係を持ち、そのまま気まずくなる。
- 1990年9月:仲直りし不倫関係に。
- 1990年10月:ご主人に不倫がばれる。そのまま東京へ駆け落ちし、二人の暮らしが始まり3か月ほど過ごす。
- 1990年12月:クリスマスののちに裕里子が失踪する。この時、子供ができていることを俊介も知る。
- 1991年1月:裕里子は札幌のご主人のところに戻り、その後すぐに祐里子の実家に戻る。俊介は祐里子の実家に行き、祐里子と再会するが、子供を堕ろしたと嘘をつき決別を告げる。
- 1991年2月:ご主人が小夜子、裕里子、正太、裕里子と俊介の子供も全員受け入れるとして新しい生活をしようと決意する。
- 2月25日:正太からその旨を伝えられる。
- 2月28日:子供を堕ろしていないことを悟り、札幌へ向かうため鹿児島駅に向かうところで物語が終わる。
さて、ここで小説冒頭の「失踪申告申立書」に戻ろう。
申立書は1998年9月1日に提出されている。
その文面には1991年3月1日に失踪したと書かれている。
そしてご主人によると、1991年3月1日の正午過ぎに俊介から電話か入っているが、裕里子は何も言わずに即切ったらしい。ご主人もそれに気づいてはいたが、裕里子の対応に満足し、黙ってうなずいて見せている。
だが、裕里子は夕方、買い物のために家を出たが戻ってくることはなかった。
考えられるのは、2月28日に俊介は鹿児島を出て東京に向かった。
そして翌日の3月1日正午頃、東京から電話で俊介は言いたいことを言い、裕里子の心を突き動かしもう一度会うチャンスを得た。
二人は再び会って愛を確認しあい、人生をスタートしなおしたのでしょう。
もし裕里子が一人で実家に帰ればご主人に連絡は行くし、つらさに耐えきれず死を選んだなら7年もたてば見つかるでしょう。
おそらくこう考えるのが妥当…
二人は新たな愛を知り、子供も含め幸せに暮らしているのでしょう。
裕里子が考えを改めたのはなぜか
裕里子は一度、前途有望な俊介の人生を邪魔できないとして別れを決意しましたが、なぜ電話だけで考えを改めようと思ったのでしょうか?
実家での再会と電話時の違いは、涌井家の方針が明らかに変わっていたからでしょう。
ご主人がすべてを受け入れる決断をしたことで、前妻の小夜子が家庭に入ることになった。それは何も悪くないことで正太にはちゃんと母親が帰ってきた。
そう考えずとも、前妻と暮らすのはおかしいと裕里子が感じただけかもしれません。ご主人が毎週土曜日に小夜子の面倒を見に行くのがつらいと言ってもいました。
そもそも俊介の将来を考えての決別だったのに、それを解決せずに再び一緒になったのも首をかしげてしまいます。
しばらく会わないことで愛が深まったのでしょうか?
結局、愛ってなんなんでしょうね。
自己本位な大人に振り回される正太
ここまで考えてくると、この小説の登場人物は全員が自己本位的に思えます。
俊介は人妻に手を出す、元カノは性に奔放で急に別れを告げる(ちなみに俊介の先輩と付き合っていましたし、別れる前から浮気していたこともほのめかされています)、裕里子もなんだかんだ不倫する、ご主人も妻を持ちながら前妻の面倒をよく見る、おばあちゃんの八千代も世間体を気にする。
そんななか、正太は他人を考えていたような印象を受けました。
周りの人たちのことを考えて、裕里子の心を助けるために俊介と引き合わせたり、最後には小夜子を自分の母親として認めたり…
逆にやさぐれた子供らしさも垣間見えてはいました。
何をもって大人と呼ぶかは分かりませんが、正太は間違いなく大人になっていってはいました。
正太は、大人になり切れていない大人たちに振り回された子供ですが、何をもって大人っていうのか自分でもわからなくなってきました。
大人って何をもって大人というんでしょうね。
今日はここまで!ありがとう!